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福岡高等裁判所 昭和44年(く)62号 決定

申立人 前田利明 外一名

決  定

(被疑者等氏名略)

右両名から申立にかかる福岡地方裁判所昭和四四年(む)第八七九号忌避申立事件につき、昭和四四年一一月一九日同裁判所のした申立却下の決定に対し被疑者前田利明、同人の弁護人国府敏男、同上田正博および被疑者前田光雄、同人の弁護人荒木新一、同荒木邦一から各適法な即時抗告の申立があつたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件各抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由は、被疑者前田利明、同人の弁護人国府敏男、同上田正博および被疑者前田光雄、同人の弁護人荒木新一、同荒木邦一のそれぞれ連名提出にかかる各即時抗告申立書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。

しかして、これらの理由を要約すれば、

裁判官白井博文は、被告人福田政夫の巡査片岡照征に対する公務執行妨害被告事件(通称博多駅事件)の第一審において無罪判決をなした裁判所の構成員であつたものでありながら、本件特別公務員暴行陵虐並びに公務員職権濫用付審判請求事件(付審判請求事件)にも関与しているものであるところ、右博多駅事件の公訴事実と付審判請求事件の被疑事実は、集団行動のなかで起つたものであつて、社会的事実としてみれば表裏一体であり、右博多駅事件においては付審判請求事件の被疑事実にあたる点についても殊更に実質的審理を先行していたものであるから、右白井裁判官は前審関与による除斥事由のある場合に等しく、右博多駅事件の無罪判決の内容及び理由の構成をみても、警察官並びに公安官の職務の執行につき全くいわれなき予断を明示していること、その他右事件の審理の状況、審理過程における裁判長真庭春男の言動及び本件付審判請求事件の取扱い等に徹するとき、本件につき、不公平な裁判をするおそれが濃厚であるから、白井裁判官が忌避さるべきは当然である。

しかるに、原決定は両事件が実質的に表裏一体をなす集団行動によるものであることを看過し、単に両事件が形式的に異なることを示し、且つ博多駅事件の審理において右裁判官が殊更に警察及び公安機動隊の職務行為の適否についてまで審理を拡大し、結果において本件付審判請求事件の審理を先行するに至つたことは認められないとし、白井裁判官が先きの心証に拘泥して本件付審判請求事件の被疑者らに不利な結論に達する虞れはなく、公務所照会は右予断又は偏見の証左となり得ないとして、忌避申立を斥けている。

しかしながら、両事件は社会的事実として基礎を共通にし、付審判請求事件の被疑事実は原決定のいうものだけに限定されたものではなく、その審理は当該警察官全体の集団行動の適法性の審理に及び得るものであるところ、既に博多駅事件の審理では、審理を訴因に限定する努力をなさず、この適法性についてまで殊更に拡大し、その証拠調を施行し、判決においては暴行を認め難いとしながら、職務行為の適法性の有無につき不必要にして誤つた判断をしているのみならず、逆に右職務行為を不適法ときめつけ、これを無罪理由の主柱としていること等に照しても、付審判請求事件につきなすべき判断を既になし、しかもこれを無罪判決のなかで表明しているものである。そうすると、白井裁判官らが不当な予断を有することは明らかであり、その他の言動を併せ考えると、警察側の行動に対し、露骨な偏見を有していたことが窺われ、右の予断と偏見にこだわらず、本件付審判請求事件につき公正な心証をいだくということは到底期待されない。

したがつて、原決定を取消し、本件忌避理由を是認し、申立を許容する裁判を求める。

というにある。

よつて所論につき関係記録を取調べ、原決定の当否を検討し、忌避原因の存否を判断する。

一 裁判官白井博文が、被告人福田政夫の巡査片岡照征に対する公務執行妨害被告事件(福岡地方裁判所昭和四三年(わ)第七一号通称博多駅事件)の第一審の無罪判決をなした裁判所の構成員であつたこと、本件付審判請求事件の審理にも関与しているものであることは所論指摘のとおりである。

そこで、所論の骨子(博多駅事件と本件付審判請求事件は社会的事実としては表裏一体をなすものであり、前者の審理において後者の審理をも実質的になし、且つ前者の無罪判決において後者に対しなすべき判断をも表明しているので、前審関与にも等しい予断を有するとの点)に鑑み、先ず両事件を対比し、その異同、審理先行の有無、及び無罪判決に現われた予断の存否につき順次検討する。

博多駅事件の公訴事実と付審判請求事件の被疑事実のいずれも、米国原子力艦艇佐世保寄港阻止闘争に参加するため、昭和四三年一月一六日午前六時四五分着の急行「雲仙・西海号」で、国鉄博多駅に下車したいわゆる三派系全学連所属の学生約三〇〇名と博多公安機動隊及び福岡県警察機動隊とが同駅南集札口へ通ずる旅客通路上で接触し、右機動隊が学生らを右集札口から外に排除するに至る過程で発生したというものであり、右博多駅事件の訴因及び争点と付審判請求事件の被疑事実は原決定の摘示するとおりである。

そうすると、被告人福田の片岡巡査に対する行為と被疑警察官らの被害学生らに対する行動は、行為者を中心にみればそれぞれ独立の行為であり、社会的出来事としても別個の行為事実たることに変りはない。もつとも、これらの行為者又は被害者が学生又は警察機動隊の各集団のそれぞれの構成員であつて、その集団行動の間において生じたものとし、その行為を集団行動との関連においてみた場合、言い換えれば集団的行為の次元でとらえた場合、各事件は集団行動として全体的事実のうちに包含され、右の全体的に連続せる事実経過の一駒として、いずれも集団行動過程の一つの段階における出来事といえる。しかし、かかる広い意味の社会的事実をもつて、刑事訴訟法二〇条又は二一条は事件とするものではなく、同各条の前提とする事件とは、右の集団行動そのものを犯罪事実とする場合は別として、全体的事実の経過における個々の出来事にあたるものを指称するものにほかならないと解される。つまり、犯罪行為者を中心とした個々の行為についていうものであり、本件についてみれば、被告人福田が片岡巡査に対して暴行した事実、又は被疑警察官らが被害学生らに対して暴行をした事実に相当するものである。

したがつて、博多駅事件と本件付審判請求事件は包括的全体としての集団行動的次元からみて、これに包含されても、前記法条にいう意味では全く別個の事件といわなければならない。そうすると、本件付審判請求事件は博多駅事件に関し前審関与の事件又はこれに相当する事件にはあたらない。

そうだとしても、なお、その他の事由と相俟ち、あたかも前審関与に等しい予断を抱いているとみるべき場合がないわけではない。もつとも、博多駅事件と付審判請求事件の審理を集団行動的次元でとらえた場合に、いずれもその一駒であることから、直ちに前者における判断が後者に対する予断として残留するものの如く速断することは妥当でない。右の予断は両者を含む集団行動全体を審理し、これに対する判断を加えて、結局後者に対する判断までもなしたことに帰する場合のみに限られる。

そこで、この点につき更に考えてみるべきところ、博多駅事件の審理において、同審理裁判所は片岡巡査を含む警察機動隊の一部の学生に対する暴行、所持品検査等の職務行為の適法性の有無に関連する事実の証拠調をなしていることは所論のとおりである。

しかし、右は原決定も説示する如く、本件付審判請求事件の被疑事実を含めた警察や公安官機動隊の行動の適法・違法を問題としているのではなく、被告人側において、警察機動隊が南集札口の前を閉鎖し、学生は滞留を余儀なくされたのであるから、警察側の行動こそ不適法な職務執行であると主張し、この点が争点となつて証拠調をなしたものであり、且つ、右は集団行動の一環をなすものであつたことから、証拠調がその余の集団的行動にわたる部分についても及ばざるを得なかつたものと認められ、右裁判所が意識的に本件付審判請求事件の被疑事実にわたる部分まで拡大し、これを審理又は証拠調の対象としたものではないことが推認される。

次に、博多駅事件の無罪判決において、右判決裁判所は警察官の職務行為の一部につきこれを不適法とし、無罪理由となしているのであるが、しかし、それは学生らの滞留行動との関連において取上げた場合に、不適法とみるべきものとなしているのであつて、これ以外の警察機動隊の行動、とくに、付審判請求事件に現われる被疑事実に関することまでも含めた集団行動全体について、その行動の適法性の存否を判断しているものではない。

そうしてみれば、両事件は表裏一体のものでなく、且つ博多駅事件についての審理と判決において、付審判請求事件に関する事実についてまで実質的に審理を先行し、又はこれに対する判断をなしたものとは認められない。

二 しかしながら、忌避原因は除斥原因の如き偏頗の裁判をなすおそれの顕著な類型的事由又はこれに等しい場合のみに限定されず、全く非類型的な事由も存し得べく、この事由たるや必ずしも一個ではなく、数個の事実によつて合成されることもありうるから、前記一において判断せる事由そのものが、忌避原因とするに足りないとしても、他の徴表と併せ考えた場合、不公平な裁判をする虞を生じる場合もないわけではない。

ところで、博多駅事件の無罪判決において、同判決裁判所は暴行の事実を認めるに足りないとしながら、警察官の職務行為に適法性が認められないとし、これを以て無罪理由の骨子となしている。所論によれば、かかる必要でもないことを逆に強調する点からみても、警察に対して不当な偏見を抱いているというのであるけれども、公務執行妨害罪の成否は暴行等の妨害行為の存否のみではなく、職務執行の適法性の存否も該犯罪の成否を決する要件の一つとみる限り、両者が認められない場合に、無罪理由をいかに説示するかは、論理的構成のみでなく、説得の要否又は適否にも依存し、判文の説得性は審理の経過とも無関係なものではない。

しかして、博多駅事件では、警察機動隊の閉鎖的行動の存否とその適法性が烈しく争われたため、この点についての証拠調がなされ、右裁判所は右に相当する行動があつたことを認め、且つこれを不適法と解したので、この点から犯罪不成立の理由を展開したものにすぎず、暴行の事実についても証明が十分でなかつたが、右の職務執行の適法性が認められない点についての証明を十分としたので、証明の強弱に応じて無罪理由を挙示したものと推認される。

そうすると、不必要な判断にして、しかもこれを殊更に強調したものとみるのは相当でない。また、右の職務行為の適否は単なる事実関係の認定のみではなく、反面に法律評価を含むので、たとえ該評価を異にしたとしても、暴行の事実も証明し得ないとして、これを予備的に付加したものというべく、仮にこのような認定又は判決理由の構成の合理性に問題があるとしても、右を所論の如き偏見からなされたものと認めることはできない。

なお、原判決の触れるところは、警察機動隊に対するものであつて、公安機動隊の行動については、適否の判断を示していないので、公安官に関し、以上の点について不公平な裁判をする虞があるということは、いわれなきものといわねばならない。

その他、主張の忌避原因のうち、博多駅事件の審理中における裁判官の個々の言動は、裁判長真庭春夫の審理又はこれを終つた後の態度に関するものであつて、その真偽は別として、少くとも左陪席であつた裁判官白井博文の言動でないことは抗告人の主張自体において明らかであり、右白井裁判官に所論指摘の如き言動があつたことを認めるに足る資料は何もない。

なお、付審判請求事件について、福岡県警察本部長宛になされた機動隊員の氏名等に関する調査嘱託をもつて、強い不信を抱くべき理由とするに足りないことは原決定の説示するとおりである。

以上検討したところによれば、抗告人らの各申立が全くいわれなき杞憂にすぎないものとは考えられないけれども、忌避原因と主張する事由を個別的に検討し、又はこれらの事由をすべて総合しても、その程度は刑事訴訟法二一条にいう「不公平な裁判をなす虞れ」が存する場合にあたらないものというべきである。そうすると、抗告人らの各申立を排斥した原決定は相当にして、忌避はいずれも理由がないから刑事訴訟法四二六条一項に則り本件各抗告をいずれも棄却することとする。

よつて主文のとおり決定する。

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